創業 1913年(大正2年)

「花火に師匠なし」。小原市松商店の創立者・小原市松の提唱のもとに、独自の構想による
「ヤマニ式花火」は北海道に誕生しました。
この商号は、明治時代より外国貿易港として注目されていた新潟において、鉄砲弾薬の
輸入などを行っていた中谷仁平によって設立された「中谷商店」から受け継がれたものです。
明治中期、北海道移住が盛んに行われていた折、中谷商店も札幌へと出店。出向店員として
札幌へ差し向けられたのが中谷商店に丁稚奉公中の小原市松でした。明治16年、小原市松が
11歳の時のことです。以来、この北海道において洋品や雑貨、鉄砲火薬類の販売業を営んでい
ましたが、花火については輸送上の不便が生じたのを機に、明治30年頃より製造事業に着手し
ました。熟練した職人を招聘、しかし小原市松の「花火に師匠なし」という信条のもと、改良に改良
を重ね、この北海道にその志を広めていきました。昭和に入り、冬期スポーツが盛んになると
スキー・スケートの販売を事業に加え、現在ではスポーツ用品全般の取扱いにおいても独自の
地位を築いています。千変万化する美しさを持ち、江戸時代から現代へ受け継がれてきた花火。
の商号もまた、この北海道における時代の変化をとらえ、新たなる可能性へと挑戦し続けています。